呼ぶよりそしれ・・・

日課のウオーキングに出掛けるまでに、取り溜めしてある録画を観ました。

NHKの、「歴史探偵」です。

内容は戦国時代の有力者(天下人や戦国大名)が欲しがった銀の鉱山開発でした。

番組では新潟県・佐渡ケ島を採り上げていました。

始めは戦国大名により佐渡銀山が掘られていて、諸外国との取引に銀が使用されていたと。

そして世界一の銀産出国となった日本は、世界の流通の三分の一以上の銀を産出していたとも。

上杉景勝のバックに居た豊臣秀吉の命を受け、佐渡銀山を開発して行ったのだそうです。

その時代に石田三成から上杉景勝に宛てた手紙には、時分(朝鮮出兵)でも有り銀産出を奨励し・・・」との内容のモノが披露されていました。

やがてそれも、5年後の関ケ原の戦いで東軍(徳川方)が勝利し、徳川幕府が江戸に開かれ1601年に佐渡銀山は徳川幕府の経営することになりました。

徳川家は大久保長安を佐渡奉行として銀山経営に当たらせたのです。

そのような時代に、江戸初期の山師で有った味方与次右衛門(みかたよじえもん)は佐渡島に渡り、金鉱山開発をおこなったのだとか。

現在の金額に換算して15億円を費やしました。

約14年間ほど掛けて400mほど掘削しましたが、鉱脈には突き当たりませんでした。

そしてもうダメだと思った時に金鉱脈を探し当てたのだとか。

そしてそこから大量の金鉱石を掘り出し、徳川幕府の財政を大いに支えたのだとか。

またそこで鋳造した慶長小判をスタジオで展示し、所長が手に持っていました。

その慶長小判に含まれる金含有量を取り出すには、金鉱石2トンが必要なのだとか。

そして味方与次右衛門が掘らせた坑道には坑道脇に排水溝を設け、勾配は入口に向かい0.5度を付けていたのです。

また坑道の沿ってもう一本坑道を掘り、空気の循環をさせていたとも。

空気が薄く、循環もしない坑道では人夫が気絶したり、塵肺病になりやすく、だいたい4年ほどで死亡していた過酷な作業であったのだと。

なので無宿者は捉えられて、佐渡送りにされるのを最も恐れたのだとか。

八丈島なら島帰りと云われても生きて帰ることが可能ですが、佐渡島送りとなればドサ帰りとは中々いかなかったようですから。

番組録画を観て終わり、その味方与次右衛門の話から、友人である徳島県○市に居住するM君の話を妻としていました。

我が家と同様に、名字が珍しいのです。

なので○○君のご先祖か、親族ではないのだろうかと。

丁度その時にスマホの着信音が鳴りました。

なんと何と発信人は欣ちゃんからのものでした。

私は一瞬ですが、「彼も番組を観ていたのか、それとも番組を観てくれたかとの電話かな」と思ったのです。

しかし直ぐに電話に出ながら、自分は今は録画を観ていたのだと思いました。

私は直ぐに「おい○○ちゃん、呼ぶよりそしれ、とは良く言ったもんや」と。

そして彼には今まで録画を観ていて・・・等の内容を話しました。

彼曰く、「内の名字は○市の本家と、関東地方に在るのだそうで、本家の従兄が一度調べに行った事があるけど判らなかったわ」と。

「もしかしたら、関東の味方家と関係が有るのかも分からんけど」とも。

蜂須賀家から名字を貰い、参勤交代時に警護していたとの言い伝えが有るのは確かなのですが」とも。

「その番組は観たかったなぁ」との事でした。

そして「べーやんは歴史好きやから、歴史関係の番組は録画して観てるもんなぁ」と。

歴史はそこに住む人や、昔に住んでいた人の物語なので大変ロマンがあり大好きなのです。

昨日、家主宅にお伺いしていて話の中で、「私は無趣味なので・・・」と言うと、家主様曰く、「石部さんは歴史的な会合や研修会・講座に出席しているし、日本刀の趣味がお有りになるでしょう、それこそ立派な趣味ではないですか」と。

他人様から云われると、「そうかなぁ」と思いました。

ウオーキングに出掛けました。

 

元記事はコチラ↓
http://ishibe-yan.jugem.jp/?eid=3654

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